最近、虐待の話が多いなぁ……と感じたので。

名家の生まれで、幼少期から琴にお茶を習い事とし、帰国子女で国立大出身の物書き。

スペック的な聞こえはいいでしょう? 今から重たい話をしますが、我が家は完全に機能不全でした。体面をなによりも大事にし、自己中心的で自己愛の強すぎる父親に、アル中で幻覚幻聴妄想暴力の耐えない母親。無関心な祖父母や親戚。

虐待が起きないわけがなかった。詳細は省きます、どんなことをされて虐待と見るかは人それぞれだし。

ともあれ、機能不全な家で育とうが、大人になるんです。そのなかで、社会に出て仕事をする。それがどんなものであれ、素晴らしいことだと思います。自分にはそれが、今でも苦痛で苦痛で仕方ない。だから、物書きをやっているのも、周りに生かされている気がしてならなくて、ようやく、人に恵まれてきた気がします。

ここでね、私が話をしておかなきゃいけないことがあります。不幸自慢しているわけではないんですよ。たとえば、実家に戻れば暖かいご飯とお風呂、ぬくいお布団が待っていて、なんやかんやおとんもおかんも良くしてくれる。そういう人のことを羨むことはあっても、恨むことはない。(分からないものを恨んでも仕方ない)

暖かいご飯も、気持ちのいい風呂も、ぬくいお布団も、優しい笑顔も、全て家族全員の努力の上で成り立っているものです。素晴らしいものなのです、そいつを妬んでどうする。

ただ、自分は「ごくごく一般的なご家庭で当たり前のように教わってきたことや、受けるべき保護や愛情」を知らんので、学ぶ気はあっても、失礼なことをしてしまうかも知れないのです。そこんとこすまないね、先に謝っとくよって。

それ以上の感情は無いんだ。

もちろん、虐待は良くない。ニュースに出ていたあのクソ親父とクソ母は、二人同等にクソッタレだし、大人の理不尽に怒鳴られながら、頭から冷水ぶっかけられて、放置されりゃいい。死ぬ? そんときゃ殺す気は無かったって言われりゃいい。それさえ言っときゃいい、ここは優しい世界だからね。

私はあの母親を擁護する気にもならんのんですよ。夫の暴力に耐えかねることと、自分の子供に暴力を振るう父としての夫はまた別だ。そも、逃げることなど出来なかった。そりゃそうだろうとも思う反面、子供の母としては全く機能していないので、やっぱりクソ母はクソのまま。妻としては従順でいいんでないの? 反吐が出る。

思考は停止するでしょう。しかしあの場合、子供は一度保護されている。よくも俺に恥をかかせてくれたと夜な夜な大暴れしたであろう夫も、外ヅラだけはいいから昼間は仕事でいない。あの母は子供が保護されている間の昼間なにしてたんだ?

同罪だ、私にとってはね。……と、いう目で見ていました。児童相談所の職員の対応云々については実際子供を持つ人が色々と意見してくれるでしょうし、良くなればいいと思います。少なくとも「私は先生や児童相談所に相談しちゃいけないんだ、バラされるんだ」と思う子供はいま、確実に増えているであろう状態だから余計にね。

子供を持ってはいけない人、というのは確実に存在していると思う。子供の理不尽に逐一大人の理不尽で返すようなバカは、少なくとも避妊してくれいやマジで。子供ができない身体なんじゃ、頭も体の一部なのじゃよ。そういうことにしてくれや。

徒然なるままに書いているから、私の話に戻るけれど、母は早いうちに亡くなりました。アル中じゃなかったら、本当にいいオカンだった。

アルコールで身体がボロボロになってね、五臓六腑はもちろん、胃腸や喉までやられて、おまけに膝裏靭帯壊死まであってだなー……。

苦しんでもいいから家で出血死無しで死にたい、と私に言ったことがある。そりゃ私も、速攻出来る自殺のやり方くらい知っているけれど「あー、許さん。そいつは罰だよ」と言った。

それが、母との最後の記憶になった。結局は心臓発作だった。

父は私を、即座に第2のオカンに仕立て上げようとしました。おかんの代理やね。メシフロネルの準備をさせる上に、母を亡くし、父を助ける娘としての美談の為に。誰がお前と擬似結婚なんかするか! 冗談じゃねぇ。私や母を気分で殴る蹴るして、体面的には見せ物にした上で、最後には母を殺しておいて。

「そんなこと言って、パパのこと好きでしょ?」

いますぐその口閉じやがれ。二度とツラ見せんじゃねぇよ。パパって誰や、気色悪いこと言ってんじゃねぇクソが。

……と、口にすることも疲れた私は上京し、あとは父を放置です。ネット上の居場所だけは父や親戚に開示しました。父が何かで死んだ際には、父のPCを通じて私に連絡は取れる。その後、父もあっけなくアル中に陥り、いまから三年前に病院で野垂れ死にました。誰も看取ることもなく。

父が死ぬと、東京で色々騙され罵り合い、泥水を啜りながら生きてきた私もようやく色々解き放ち、まず家を買いました。私は家という場所で落ち着いたことがありません。そういう場所ではなかったからです。だから「ぐうたらすること」に注力する私がいるのです。

私は社会的に不適合な人間だと思います。それを支えてくれている皆に感謝するのです。やる気がないときはとことんありませんが、そのうちふらりと浮上はしますので。

いま、子供がいる人。

子供の年齢=親としての自分の年齢なのでしょう。だから、毎日がハプニングなんだと思います。子供の理不尽に耐えられないこともあれば、子供の理不尽に気づくことも多いでしょう。私は親としての何か言葉があるわけではありませんが、大人の理不尽に振り回された子供の気持ちくらいは大人の言葉で表すことくらいは出来るかもしれません。

つらいな、と思ったら。

子供がいない私も一緒に子育てする気持ちにはなりますので、適当に「怒鳴ってしまった」とか「ぶってしまった」とか、私に教えてください。なに、経験上大抵のことでは驚きませんし、それでその人の評価を即刻変えるようなほど、人もできてないんで。

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