いじめについて書いたのに、アプリがエラー吐いて更新出来なかった。なんだよもう、腹立つなあ。書き直した、ブータレブー。
こう言っちゃなんだが、虐められた経験なら山ほどあるよ。学生の時もだし、社会人になっても経験した。結局、他人は変えることができないという結論に落ち着いた。
たとえば、私がどうしようも無いクズ人間だとする。何を言っても「わかってる」けど動けないんだ、とか。死ぬときは野垂れ死上等だとか言っていたとして。それは救いどころが無いのですよ。変えようとする気がないのだから、結局変わらない。……でも、それもひっくるめての「わかってる」発言だと思うんだ。
誰かに助けてもらうのも、結局は役に立たない。
教育委員会も先生も、なんら役に立たない。それは私が太鼓判を押してもいい。期待するだけ無駄。期待して、期待を裏切られて、自分の命を断つほどアホなことはないと思う。
数年の我慢だとか、そんなことをいうつもりもないよ。転校する、という最終手段が残っているから。
お前に俺の何がわかる!
わかるよ、とは言わないよ。ただ、私は家に居場所がなかった上(両親のダブル不倫+父親のモラハラ+ネグレクト+母親のアル中)学年イチのボス猿から常に因縁つけられていたから。塾の壁一面にマジックで私に関する罵詈雑言が書かれていたことだってあった。書いたやつらはニヤニヤしながら私を見ていた。
わかる、なんて言わないよ。居場所がないことの辛さ、みたいなものしかわからない。守ってくれる人が皆無なことくらいしか。
親も信じられない、先生は論外、それでも、メシ食ってりゃ生きるんだ。だから、悩みの大小の話は私には出来ないし、不幸自慢したいわけでもないのだから。
自分が鈍感になるしかない瞬間はあると思う。そして、人のことに鈍感でいいと思う。ハートがささぐれ立つときこそ、人のことは気になるけれど、敢えて許容も受諾もしなくていいと思う。それが出来るのは、そういう目に遭った人だけだから。
社会人になってもろくでもないやつは沢山いる。でも、社会人になれば逃げられるから。そういうときは逃げてもいいと思う。私も、一人の無神経なおっさんに追い詰められて、苦しんで苦しんで鬱になった挙句、逃げた。逃げた先で思ったのは、他の人に迷惑をかけるほどの仕事をしてきたのか、ということだった。
今でも答えはわからない。
でも、それでいいんだ。他人は変えられない。変えられるのは自分だけ。難しいよね、でも心に留めといて欲しい。
つらいのは自分だけじゃない、と決して思わないこと。つらいものはつらいんだ。死ぬこと以外に環境を変えるなど、最終的な選択肢があることを、どうか忘れないで。
私が言えるのは、その程度。
ごめんな、ダメな大人で。
でも、少し前に進もうと、環境を変えようとする人のことは、純粋に応援してる。そういう人がいることも、どうか忘れないで欲しい。