私は堺東にある「ダイワロイネットホテル堺東」に宿をとった。理由は、最近の難波界隈は少し治安が良くないらしいことと、大阪難波という立地の良過ぎる場所では、予算内でいい宿が取れそうにない、ということだった。近くに友人が住んでいるのも心強かったし、歩いて10分圏内に、地元感溢れる銭湯があるのも大きな大きな魅力だった。
話は少し遡って、いもうととわたし。
妹との会食は実に楽しいものだった。
関東に住み、全くといっていい程、親戚付き合いを避けに避けまくる私の代わりに、妹が親戚付き合いを好んでしてくれていたと聞いて、思わず、蓬莱本店の特選海鮮焼きそばをご馳走。
妹は親戚付き合いを、苦にはしていないように話してくれたのが、親戚に対して思うところが未だにある私にとっては嬉しかった。大したことではない。我々の父母からを始め、家庭が崩壊し、本当に困り果てていたときに、敢えて無視を決め込んだことを根に持っているだけだ。
ただ……。
火垂るの墓でも子供目線で観るのと、大人目線で観るのでは話が違うように、彼らにとって私たちの家庭のハンパない崩壊ぶりは手に負えなかっただろう。ましてや、自分たちにも仕事や、家庭があるのだ。私は心ではそれを納得しているものの、当時十代だった私がそれを未だに許せていない。……ともかく、特選海鮮焼きそばで、この複雑かつ妹に申し訳ない気持ちはどうにも治りそうになかったので、治らない気持ちのまま、コメダ珈琲店のプリンシロノワールのハーフをもご馳走した。
歳の離れた妹は、あまりに辛い過去に対して「忘れる」という対処法を取れる子のようだった。故に自立し、親戚とも会食が出来る。私にとって、妹の話が嘘か真か、姉に対する恨みがあろうとも、いま縁を持っていることを心からありがたいと思いつつ、いま、唯一の血縁者である妹に対して「困ったことがあれば。衣食住、金銭的なことでもいい、親戚のおじさんおばさんの顔と電話番号を思い浮かべる前に、私に言って欲しいんだ」と伝えると、妹はシロノワールのシロップを口の端っこにつけながら「わかった〜」と応えてくれた。
妹は姉たる私をどう思っているかはわからない。私は贖罪の意味合いを込めて、妹を見ているのかもしれないし、妹はそんな姉に対して「そんなん重てぇからやめろやボケ」と考えているかもしれない。……辛いこと、辛い時期を忘れることで乗り切ってくれて、本当に良かった。
妹は、あちこち両親に振り回されるように引越しを繰り返したものだから、なかなか気の合う友人がいないことを特に嘆くわけでもなく、ぽつんと口に出した。私も上京してこの方、仕事上の付き合いは出来ても、友人と呼べるような人は近所に一人もいない。普通に話したいだけなのにな、というと、妹もそうだね、でも家が一番だ、引きこもりたいよと笑ってみせた。
そんなところだけ、姉に似なくていいんだぞ。
機能不全家族の我が家の話なら、いつか書くことになるでしょう。書くことで、私のことが見えてくるかもしれないし、私は知って欲しいと思っているのです。もちろん、綺麗事を言うことも出来るよ? 機能不全家族に育った子供たちに勇気を与えたいとかね。言わせてもらうと、そんなのは偽善だ、いのちの電話とかいう自殺防止電話なんて、家族や友人は貴方を思っているのだ、などとお綺麗なことを言われて、余計自殺する気満々になって電話を切る羽目になるからそいつもお勧めしない。
本当に辛くなったときは、何かに吐き出すに限る。
たとえば、Twitterでもいいし、どこかの日記でもいいし。
好かれたいなんて思わなくて良いんだ。
どこかの誰かの名言だけど「世の中半分の人が味方になってくれれば上等」
ホテルに戻ってチェックイン。
暗くなる前に、妹と解散。
そのまま私はホテルに直行した。
夕方の5時。シャワーを浴びて、頭を洗い、身体を洗い、顔をも洗って、化粧水のパックもつけてゴロゴロしながら、次はこの近所に住まう友人にアポを取り付けていた。
友人は「はえーよ、もっと妹と一緒にいるものだと思ってたよ」とチャットではいうものの、急いで堺東まで出てきてくれた。夕飯のお目当てはお好み焼きだ。食い倒れるつもりで来た、胃腸薬もばっちり持参している。さあこい、こなもの、さあこい、ソースとマヨネーズ、ねぎだくの海へ。
堺東の商店街で出会ったのは「うしたま」という粉物料理店だった。昼間のプリンシロノワールにやられてなかったら、確実に店主オススメのコースを選択していただろう。しかし、ここは長芋のふんわりした豚玉をチョイスした。
大阪のこういう店には珍しく、テーブルに鉄板がなく、厨房で焼いて、熱い鉄板に乗せて持ってきてくれるシステムだったのだが、店主さんは東京に店を出すのを少し考えた方がいい。スイーツのようにふっかふかの生地に絡んだソースとマヨネーズとネギが、私の胃をやさしーくやさしーく、そしてぴりりと直撃してくるじゃないか。
正直に話そう。
妹への贖罪の気持ちはまた別日にナントカして、コメダ珈琲店のプリンシロノワールのハーフサイズを我慢すべきだった。美味い! 大事なことだから二回言うけれど、東京に店を出してくれまいか。
メニューには美味しそうな、とんぺい焼きがあった。少しお腹は膨れていたものの、食べようとしたら、友人は今度にしたらどうだ? と声をかけてきたので、やめてしまったが、この友人。いまでもその発言を後悔して反省しているらしい。私はそこで発言を控えたが、実はとんぺい焼きというものは関東にはアレンジされたものを、たまーーーーに見るくらいの超希少種。
確かに大阪にはお好み焼きがある。
たこ焼きもある。では、ぺたんとした生地で挟んだイカ焼きは? たまごでお肉を挟み、ソースをかけた、とんぺい焼きは? 大阪にしかないものはたくさんあるのだ、食いしん坊を自称するならば、京都や奈良で満足してはならない。胃腸薬をかっこむ勢いで大阪のものを食べろ、食べろ、食べろください。今度、大阪に行くことがあらば。とんぺい焼きとネギ焼きは親の仇のように食らってやろうと考えている。
そのあとどんどこしょ。
その後は、友達と昭和臭漂う喫茶店になだれ込み、食後の美味しいブレンドティを飲みながら、どういうわけだかDQ10の話になった。友達はプクリポとしてたまにインする程度だったのだが、半分引退もしている身。半引退のあとのDQ10の世界はどうなったのか、という話で大いに盛り上が……いまいち盛り上がれなかった。
最近のDQ10の運営は、我々ユーザーの求めているもの、見ているものから、少しずつ少しずつではあるが、視線がズレてきているのではないか。運営がもたらすものを甘んじて受け止め、喜んで愉しむ。いや、無条件に盲目的に楽しむという段階はもう終わっていて、離れていくユーザーの中にはたくさんのフレンドもいる。残ったフレンドもフレンドさえいればそれでいいというわけではないだろう? という話にもなった。
私はFF14との二足のわらじを履いているが、正直装備やお金やレベリングに困ることはないのだ。オンラインゲームの2大要素で苦労でもある「レベル上げと金策」を退かしてしまった結果のオンラインゲームが、一体どれだけのものなのか。そういうことをチラホラと話しているうちに、夜は更け、気がつけば23時になってしまった。
私の大阪1日目はこれにて終了。朝から晩までずっと活動していたせいか、その日は4時まで起きていたものの、その後は泥のように眠り込んでしまったようだ。不眠症には大阪が効くのかもしれない。
パート3へ続く